00s ZAZEN BOYS MATSURI STUDIO band tee
¥15,000
SOLD OUT
00s ZAZEN BOYS MATSURI STUDIO band tee
color:Black
size:L
肩幅52cm
身幅54cm
袖丈21cm
着丈72cm
United Athle
5.6oz. High Quality T-shirt
100% COTTON
MADE IN CHINA
三味線を購入し自宅で演奏していたが隣の家から苦情が来た為、自宅とは別に音楽拠点を設ける事を決意。
ナンバーガール解散後に自らのスタジオ「MATSURI STUDIO」を設立し、同名のレーベルからZAZEN BOYSの音源を発表した。
スタジオの二階には大家さんが住んでいる為、夜八時以降の音出しは基本的にできない。
向井個人やZAZEN BOYSの作品製作、練習などを行う活動拠点としての役割のほかに、前述のようにScoobie DoやLEO今井、セドロなどの作品のレコーディングも昨今は行われている。
QuickJapanのインタビューでは、「MATSURI STUDIO」は当初「BIKKURI STUDIO」という名称だった。
しかし、向井本人が次第にビックリしなくなり、「BIKKURI MATSURI STUDIO」と改名。
最終的にその後の「MATSURI STUDIO」に至ったと語っている。
ZAZEN BOYSのそもそもの成り立ちは、女性シンガーのhàlが2001年に発表したアルバム『ブルー』に収録されている『6階の少女』という曲をレコーディングするために、当時ナンバーガールのメンバーであった向井秀徳と54-71のメンバーが、hàlのバックバンドという形で結成したものである(後述の新生ZAZEN BOYS結成の際に向井は、54-71のメンバーと一席を設け、話を通したと言われている)。
バンド名は向井秀徳の思い付きであるが、『見た目的に「Z」の文字の尖った感じがカッコいい』と語っている。
ナンバーガール解散後、向井秀徳が自らの求める音楽を実行するために、ナンバーガール時代からの盟友であるドラム、アヒト・イナザワと共に結成。
まずこの二人にSEXY JOEなる謎のボーカリスト(その正体はくるりの岸田繁)を迎えた構成で、ローリング・ストーンズのトリビュート盤『IT'S ONLY ROCK'N ROLL (BUT WE LIKE IT LOVE)』に楽曲を提供。
その後サポートメンバーとして、ベースに日向秀和(当時ART-SCHOOL、のちにストレイテナー加入)、ギターに吉兼聡(ルミナスオレンジサポートメンバー/元KICK'N THE LIONメンバー)を迎え本格的な活動を開始する。SEXY JOEの一時的な参加にみられるように、当初は向井とイナザワ以外のメンバーは流動的に変わる予定だったが、日向、吉兼とのセッションを経て『何か』を感じた向井はこのメンバーを固定とした。
向井はZAZEN BOYSの事を「法被を着たレッド・ツェッペリン」と例えている。
ただし、これはレッド・ツェッペリンの音楽スタイルの模倣という意味ではなく、ツェッペリンの如く、それぞれの個性の集合体であるというバンドの概念を言い表すために用いた言葉である。
当時ART-SCHOOLのベーシストだった日向を向井が誘ったきっかけは、ダブ・バンドDRY&HEAVYのライブをたまたま一緒に見ていた際、「自分さ、あんくらい出せんの?」と向井が聞き、「出せますよ」と日向が答えたことだと言われている。
日向は向井に挑発されたと思い、少しムキになって言ってしまったとインタビューで語っている。
また、数日後に初めて向井、アヒトと行ったセッションは人生で一番緊張したとも語る。
2003年8月15日に開催されたライジング・サン・ロックフェスティバルで初のライブを行う。
その後日向、吉兼が正式に加入。
2004年1月、1stアルバム『ZAZEN BOYS』をリリース。
レコーディングの際にアルバムの雰囲気と合わなかった数曲を収録した、シングル『半透明少女関係』を同年2月にリリース。
9月、2ndアルバム『ZAZEN BOYS II』をリリース。さらには、リリース前にネットラジオ「ZAZEN BO放送局」(全4回)を公式HPで配信するなど精力的に活動。
兼ねてから向井と親交のあった宮藤官九郎の初監督映画、『真夜中の弥次さん喜多さん』では音楽を担当、メンバー全員での本編出演を果たした。
12月30日のCOUNTDOWN JAPAN04/05のライブをもって、約10年間の活動を共にして来たアヒト・イナザワが脱退。
2005年1月、ドラムに松下敦(元ズボンズメンバー・Buffalo Daughterサポートメンバー)が加入。
4月、新宿LOFTにて松下敦の加入後初ライブを行う。
その後、大阪で行われたライブの音源を自身の公式HPで無料配信、Apple 渋谷のオープン記念として、同年8月10日にライブイベントを行い、そのライブでの音源を向井自らMIXしiTunes Storeで販売するなど、新しい形の流通スタイルを積極的に取り入れ始める。
7月にはシングル『HIMITSU GIRL'S TOP SECRET』をリリース。
2006年1月、3rdアルバム『ZAZEN BOYS III』をリリース。
8月18日のライジング・サン・ロックフェスティバルでは、椎名林檎がゲストボーカルとして登場した。
2007年2月3日に、向井の日記にて日向の脱退が発表された。
様々なバンドのメンバーである日向と時間の折り合いが付きにくくなった事で、向井が脱退するように告げたとされている。日向の脱退に合わせ、リリースされていなかった「感覚的にNG」のスタジオ音源が配信された。
3月、ベースに吉田一郎(元「12939db」メンバー)が加入。
6月16日、日比谷野外音楽堂にて吉田一郎の加入後初ライブを行った。
12月にシングル『I Don't Wanna Be With You』をリリース。
2008年3月、兼ねてから親交のあるデイヴ・フリッドマン率いるタルボックス・ロード・スタジオ(Tarbox Road Studio)にて、ニューアルバム録音の為に渡米。
同年9月に4thアルバム『ZAZEN BOYS 4』をリリース。
2012年9月、4年振りである5thアルバム『すとーりーず』をリリース。
2017年10月13日、年内で吉田が脱退することが発表される。
12月13日、豊洲PITで行われたTOUR MATSURI SESSION最終日をもって脱退。
2018年5月、ベースに元BLEACH、現385のメンバーであるMIYAの参加を発表。
数本のライブを経て、7月21日に正式加入した。
2024年1月、6thアルバム『らんど』をリリース。
結成当初から「MATSURI SESSION」と題したワンマンライブを精力的に開催している。
ザゼンボーイズ マツリスタジオ
バンドTシャツ バンT プリントTシャツ
クルーネック 半袖
グラフィック ロゴ
ミュージック 音楽
ブラック
00's 00年代 2000 Y2K
condition:A
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