1998s FIFA WORLD CUP FRANCE football shirt
¥12,998
1998s FIFA WORLD CUP FRANCE football shirt
color:Blue×White×Red
size:S / M
身幅55cm
裄丈53cm
着丈73cm
Polyester 100%
Fabriqué en FRANCE
コピーよりオリジナルを。それが王者の条件と信じられていた時代に「彼ら」は現れた。
頂点を極めたいなら、世界標準をハックせよ。ガラパゴスという名のゴミ箱へ伝統を放り込み、時代の最先端を追いかける。
もはやトリコロールのイレブンから「シャンパン」の香りは消えていた。
脱フランス。その長いトンネルを抜けた一団の先に、待望の栄冠が待っていた。
世紀末が近づいた1998年の夏、20世紀最後のワールドカップが開催された。
舞台はフランス。大会の創設者ジュール・リメの祖国だ。さらにホスト国を担うのは、1938年に続いて二度目のことだった。
参加するのは、32カ国。従来の24から出場枠が拡大された。
初めて本選に駒を進めた日本も、その恩恵に預かった国の一つだ。
本命は、連覇を狙うブラジル。怪物ロナウドを擁し、主将のドゥンガ、司令塔リバウド、FKの鬼ロベルト・カルロスなど、役者がそろっていた。
しかし、肝心の『レ・ブルー』(フランス代表の愛称)は、深い悩みの中にいた。
予選免除の特権を生かして、入念に準備を重ねてきたが、課題が山積みだった。
「もちろん、優勝する可能性はあるが、優勝候補ではない」
かつての英雄にして大会の組織委員長を務めるミシェル・プラティニは、こう言い放った。事実、チームは深刻な得点力不足に悩まされていた。
フランス国民も、大会が始まるまでは自国の代表にさほど関心を示さなかった。代表の事情をよく分かっていたとも言えるが、そもそもサッカーにのめり込むほどのお国柄でもない。
極右政党(フランス国民戦線)の党首ルペンに至っては「国歌すら、まともに歌えないヤツがいる」と毒づいた。移民だらけ、そう言いたかったわけだ。
ヨーロッパ随一の多民族国家。実際、歴代の代表も二世を含む、多くの移民に支えられていた。
もっとも、今大会のフランスは従来とはスケールが違った。多様なルーツを持つ選手の集まりだったからだ。
かねてからいるバスク人(デシャン、リザラズ)や海外県・海外領土(グアドループ=チュラン、ニューカレドニア=カランブー)の出身者に加え、ガーナ系(デサイー)やアルメニア系(ジョルカエフ)の選手までが、先発に名を連ねている。
そして、何より代表の金看板(ジダン)が、アルジェリア移民の子だった。
バスク人の闘争心、アフリカ系と海外県(領土)出身者のフィジカル、そして、アラブ系の足技と創造力。
各々の異なる個性が絡み合ったグループは、歴代の代表チームにはない「幅と深み」を持つことになった。
人種のサラダボウル。それが「脱フランス」へのドアを開く1つ目のカギだった。
初陣の舞台は南仏マルセイユ。そこで、南アフリカを迎え撃つ。
6月12日のことだった。
スコアは3-0。
デュガリーの先制点は、マルセイユ育ちであるジダンのCKから生まれた。
2戦目はサウジアラビアに4-0、3戦目はデンマークに2-1と快勝。
あっさり3連勝を飾り、ベスト16へ勝ち上がる。
際立ったのは強固なディフェンスだ。3戦目の失点はPKによるもの。オープンプレーでは、一度もゴールを割らせていない。
フランスと言えば、華麗なパスワークで敵の守備組織を破壊する『シャンパン・フットボール』が代名詞。
だが、知将エメ・ジャケの率いるチームは、選考から戦法に至るまで、妥協のないリアリズムに貫かれていた。
強化の過程において、パパン、カントナ、ジノラの三大スターを切り捨て、若い才能を軸にチームを再編。
複数の選手やシステムを試すやり方に批判が集まったが、万が一の備えにすぎず、頭の中ではシステム(4-3-2-1)を含め、ベースは固まっていた。
強固な守備から、ジダン経由でダイレクトに相手ゴールへ迫る。
その戦法は、当時のクラブシーンにおけるトレンド、言わば『世界標準』のフットボールだった。
フランス・オリジナルの「シャンパン」から、競争市場において次々とコピーされるグローバル・スタンダードへ。
これが、トリコロールの新境地を開拓する、2つ目のカギだった。
1990年代と言えば、世界中にグローバリズムの波が押し寄せた時代。サッカー界も、そうした流れと無縁ではなかった。
1995年の「ボスマン判決」を機に、EU(ヨーロッパ連合)圏内の「移籍の自由化」が進む。結果、各代表を構成するタレントの多くが「国外組」となった。
フランスも、そうだ。
そして、代表における多数派は当時、最も高い競争力を誇った「イタリア・セリエA」の面々である。
ジダンとデシャンの2人がユベントス、デイイーがミラン、チュランがパルマ、ジョルカエフがインテル、カランブーは前年にサンプドリアに在籍。スタメン組の半数以上を占めていたわけだ。
当時のヨーロッパ最強クラブとも言うべきユベントスの中心が、誰あろう、ジダンであり、デシャンであった。
チームづくりに当たり、指揮官のジャケが、このユベントスからヒントを得ていたのは想像に難くない。
4人のDFと3人のMFの7人から成る、強力なプレスの包囲網で次々と球を狩り、縦への素早い展開から、ファンタジスタを経由して瞬く間にフィニッシュへ持ち込む。
まさしく当時のマーケットを席巻する「勝利の方程式」そのものだった。
効率良く世界標準をハックしたフランスは、かつてない勝負強さを発揮していく。
美より実を取る一団は、悲願のタイトルへ一歩ずつ近づいていった。
「生か、死か」のノックアウトステージに入って、フランスの強みは、いっそう際立っていく。
パラグアイとの1回戦は延長の末に1-0。イタリアとの準々決勝は0-0のままPK戦。
ここで運を味方につけて、しぶとく勝ち上がり、続く準決勝でクロアチアに2-1と競り勝った。
僅差の勝負をことごとくモノにする。
手堅く、しぶとい、したたかな戦いぶりは、まるでイタリアのようだった。
自らも現役時代にユベントスで活躍し、カルチョの流儀を知り尽くしたプラティニが、言う。
「勝ってナンボ。それをイタリアから学んだのが今のフランスだ。素晴らしいプレーをしても勝てるわけではない。我々はそのことを、ようやく理解した」
そして、史上初めて駒を進めた運命のファイナル。
フランスは、やはり難攻不落の要塞だった。
前回王者ブラジルの攻撃を、鮮やかに封じてみせる。
それも、全7試合で5つ目の「完封」だった。
意外だったのは、三度もゴールネットを揺らしたことだ。しかも3点のうち2点は、ジダンの頭から生まれた。
「個性の強いカントナを外したのも、内向的なジダンの潜在能力を最大限に引き出すためだった」
未来の『将軍』と心中。ジャケの賭けは、見事に当たった。かつての『将軍』が言う。
「彼に欠けていたのは、ここ一番の決定力とタイトル。それを同時に手に入れた。間違いなく、世界最高の10番だ」(プラティニ)
世界標準型チームの、ただ一つのコピーしがたい領域。それが、ジダンの偉才だった。
アメリカ・ワールドカップ予選最終戦で逆転負けを喫し、本大会への道を断たれた悪夢から4年。「負けないフランス」が、そこにいた。
勝者の精神を手にする「心の変革」もまた、グローバリズムの産物だったかもしれない。
フットボールシャツ ユニフォーム ゲームシャツ
トリコロール ホワイト ブルー レッド
フランス製
フットボールカジュアル football casual
フットボール サッカー スポーツ
90's 90年代 1990
condition:B
【condition rank】
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